2011年1月29日土曜日

昭和20年卒業生 来校

こんにちは。龍です。

本日、4名の昭和20年卒業生の皆様にご来校いただき、
当時の様子をお聞かせいただきました。


昭和19年7月より、学徒動員で小倉・門司の工場で勤務。
門司は太平洋戦争末期になると、
大陸への海上輸送の基地であり、早くから空襲の標的となり、
敗戦までの1年間にわたり数度の空襲をうけていました。

体育祭も文化祭も遠足もなし。

しかし、鎮西高等女学校の1日1日がとても楽しかったとのお話でした。
当時のセーラー服は憧れの的だったそうです。

そして、昭和20年の3月。
卒業式ということで久しぶりに学校へ登校し、卒業の日を迎えられたとのことでした。

しかし、卒業式は空襲警報により中断。

卒業証書は次の日に工場でいただかれたそうです。

その後、工場ごと日田に疎開。
お寺や旅館に分かれて、共同生活を送り、
終戦を迎えられたとのことでした。

また、
この年だけ、卒業アルバムが作成されなかたそうで
有志の方々が7年間かけて写真を集め、
昭和57年8月にアルバムの形でまとめられたそうです。




当時の日記や卒業証書をはじめ、貴重な資料などもご持参いただき、
当時の様子をお話いただきました。
以前、皆さんのお話の中で
「卒業式やりたいね」とのお話もあったそうですが、
そのままそのお話は実現しないままだったそうです。
この度、学校側からの提案を
お聞きになられて、皆さんとてもお喜びになられたそうです。

そして、このお話をお聞きになられた
当時の先生方もご出席いただくお返事を頂戴しています。
当時の先生方からお一人お一人のお名前を読み上げて
いただき、証書をお渡ししたいと考えています。

2月14日の昭和20年 鎮西高等女学校 卒業式。
在校生の皆さんと一緒に心からお祝いし、
思い出に残る1日をプレゼントできたらと思います。


最後になりましたが、
このインタビューの様子は来週はじめの西日本新聞にも
掲載される予定です。
どうぞお楽しみに!!

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